撮る資格と、私のこと

※追記 21/ 3/30 このブログは、GIFTの原点であるメッセージムービー撮影について書いています✏️

GIFTの広報を進めていく中で、LIFEプランについては、厳しい意見をいただくことも多くありました。

(LIFEプランとは、いま準備中の病気と闘う方々へ向けた撮影プランです。)

病気について当事者でもなく、関係者でもない私では、難しいのではないか、患者さんを傷つけることが起こるのではないか、という意見をいただき、私も同じ点を危惧していたため、GIFTとして、病気の方々の撮影をおこなう理由を、何度も考え直しました。

前回のブログで、「撮る資格」について書かせていただきましたが、足りなかった部分を補う形として、改めて今回書かせていただきます。

広報をする中でご連絡させていただいた方へ送った私の文章を核として、一部リライトしています。関係者の方とやりとりとする中で、深堀りすることとなった私自身のことも、この活動においては重要と思うようになりました。
前回と重複する部分もあると思いますが、ご了承いただければと思います。

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私には、がん患者の方としっかりお話ししたり、接した経験はありません。

がん家系ではあるのですが、実際に闘病の姿を見たことはなく、書籍やHP、SNSやブログなどを見て、知識として接してるに過ぎません。

がん患者の方々(に限らず、闘病中の皆さまですが)を私が撮る資格があるのか、サービスを提供しようとしていいものなのか、日々深く悩み続けている問題です。

私は宮城県出身で、3.11の震災を契機に、家族写真の撮影をスタートしました。

当時、私はすでに東京におりましたし、両親や親友など、もっとも近しい人を亡くしたわけではありません。しかし、友人のひとりは、家族を全員亡くしたり、また、あれだけ大きな災害でしたので、私の(直接の)友人で亡くなった人もおります。

 
私の活動について、理由付けにこういったことを語るのは、良いことではないと考えていますが、
 
しかし、” 今 ” というものを強く意識し始め、「日常は、当たり前に続いていくものではないんだ」と考えるようになったのは、3.11がきっかけでした。

 

明日が、今日と同じということはありえない。

その感覚は、震災から8年たっても、全く薄らぐことがありません。

例えば、仕事に出掛けるとき。妻と、これで顔を合わせるのも最後かもしれないな、と毎回思うのです。
(精神的に病んでいるわけではないです。ただ、意識のどこかに、いつもその思いがあるということです)

” 今 ” を形にすることは、未来へ向けて、その人とその家族にとって、とても大切な意味を持つんじゃないか。

そんな動機から、家族写真の撮影を続け、この夏、ムービー撮影へと発展させることとなりました。

 
じゃあ、どんな人がこのサービスを使いたいと思ってくれるだろう。“ 今 ” を強く意識している人、または、人生において、そのきっかけはどこにあるのか。私なりに、考えて考えた結果、

 

子どもが生まれたとき、
高齢になったとき、
そして、命にかかわり得る病気になったとき

ということが私の中に残りました。

どれもものすごく特別な出来事で…でも(震災もそうですが)、そのくらいのことがないと、人は今を意識することは難しいのかもしれない、とも思います。

GIFTムービーは、” 今(だから感じることのできる想い) ” を “ 大切なひと “ へ届ける一つの方法を作りたいと考え、設計しました。

 
 
命に関わる病気をもつ方々へのサービスを検討する中で、考えたことですが、どんな形であれ、思いを形に残すという選択肢を選ぶことは、受け取った人にとっては、時に重いものにもなり得ると考えています。
 
ただ、それは家族という繋がり、また、誰かと大切に思い合うという繋がりをもつ以上、避けられない事柄だとも思うのです。
絆(きずな)は、「ほだし(=手かせ・足かせ)」とも読むといいます。
 
 
 
だからこそ、GIFTムービーが形にするものは、できる限り、建設的で、ポジティブな感情であるようにしたいと考えております。

(例えそれが、その方の感情の一側面に過ぎないとしても、そうあるべきだと考えています)

その考えにつきまして、LIFEプランの撮影については、そのようなムービーをお届けできるよう、【GIFTからのお願い】を設けさせていただきました。

また、私が悩みながらも、病気とたたかう方々へ、サービスを使っていただけたらと行動し始めた、もう一つの大きな理由があります。

話は変わりますが、私は、ばりばりの不登校人間でした。いわゆる普通の生き方から見たら、半分も学校へ行ってないと思います。

これは、先述しました「当事者」ということに関連するのですが、「不登校」という事柄について、私は当事者としてあります。

当時の私は、不登校の解決策や、明るい希望のようなものがどんな形であれ、あってくれたらと思っていました。
(親も心配しているし、本当は学校に行けたらと思っていたので。結果、高校は普通科より、通信制というものへ再入学しました)

そんな経験から、当事者であるかに関わらず、多くの人に、知ったり、考えたり、時には行動を起こすことで、いま不登校で悩む子ども達に対して、何かポジティブな風向きだったり、選択肢が増えると良いなと考えています。

(もちろん、いたずらに、軽々しく関わることは良しとは思いません)

がんは、命に関わることで、不登校とは全く違うかもしれません。

ただ、私は不登校の当事者として、物事を置き換えて考えたとき、もし、ポジティブな物事を作れるとしたら、勇気を出して行動してみてもいいのかもしれない、と考えました。

それが、もうひとつの行動のきっかけになります。

GIFTについて「サービス」という言葉を使っていると、がんという病気を、新しいサービスのために、利用しようとしているんじゃないかと思われることも承知しております。
(実際、私の妻にも言われました)

ボランティアでやるには、限界があるため、現状、料金は頂戴する形で考えております。しかし、もしかしたら、数に限りは出るものの、無料でやるべきことなのかもしれません。
それは、これから判断していこうと考えています。

ただ、LIFEプランに興味をもっていただいた方々には、GIFTムービーの出発点において、経済的な視点じゃなく、私自身にも深く根ざした部分から出てきた行動であることを、わずかでもお伝えできたらと思っております。

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引き続き、「ありがとう」と言われる日を信じて、がんばります。

2019.9.16